ぴらゆうのblog

プロデューサーぴらゆう、母になる。 これから出産予定の女性の参考になれば、とても嬉しい。

今日は、先に結論から申し上げてしまいました。

子どもを育てる上で、「かわいい」って何だろう?と考えることが多いです。
美醜の話ではなく、親が「子どもがかわいい」という時の、「かわいい」のこと。

親子だから、子どもの顔や体型、性格において、「父親似」とか「母親似」とか、あると思います。
うちの場合は、第一子(息子)は、私と似ています。
息子はどちらかというと、私の家系に近い顔つき。
私と息子は似ていて、私の父(私と似ている)と私の息子(私と似ている)は、瓜二つです。

一方で、第二子(娘)は、私と似ていません。
どちらかというと、夫の家系に近い顔つきなのかもしれません。

ちょっとややこしい。
アートボード 1



















ややこしいので、図にしてみました。
書き忘れましたが、息子と娘は、似ています。
父と私は似ていて、父は息子とも似ていて、父と息子は激似。てか同じ顔してる。
息子は娘と似ていて、息子は私とも似ているが、娘は私と似ていない。
法則がよく分からないのです。ま、分からなくてもよいんだけど。

前提が「自分の子どもは、自分と似ているからかわいい」ということだとすると、息子のほうが私に似ているので、私は息子が娘よりかわいいと感じるはずです。
では実際のところどうなのか。
私は、息子も、娘も、それぞれ、メチャクチャにかわいい!!と感じるのです。

息子は生まれたばかりの時から、「ぴらゆうちゃんに似てるね」「ぴらゆうちゃんのお父さんに似てるね」と、似ているポイントを周りから指摘され続け、自分自身も「私に似てるな...」「私のパパに激似...」と思いながら、育ててきました。生まれてからずっと、息子がかわいくてかわいくて、今の今まで溺愛して育てていますし、これからもきっとそうなのでしょう。

娘は生まれてから、周りの人から「ぴらゆうちゃんに似てるね」とは全然言われません。
私自身も今の時点ではそう思わないし、実際あまり似ているポイントは顔の中に見つからないんですね。

私は、シャープな顔立ち、というと聞こえがいいですが、目元は鋭くて頬骨もしっかりしています。
それに対して、娘は、目が大きくて、目尻は下がったタレ目。眉毛が下がった、少し前に流行った(?)「困り顔」系です。唇はぽってりとしていて、何というか、総合的に見て、すごーく、「甘い」印象の顔立ち。超あま〜い顔。
今は、赤ちゃん感もまだ垢抜けない一歳半児。顔はまん丸、ぷくぷくしています。
もうね、甘い。甘すぎ。甘い×甘い。ケーキでいったら、モンブラン。

私は、そんな彼女を見ていると、かわいくてかわいくて、とろけてしまいそう。

私が彼女の最も好きなパーツは、彼女の目。
タレ目で黒目がキラキラしていて、いつも見とれてしまいます。
それから、唇は、ぷりっぷりで厚ぼったく、ぽってりとしていて、私はぷにぷに触らずにはいられません。

目も、唇も、私と似ているから「かわいい」ではないの。だって全然、似てないもの。
私は、この、私と正反対の甘い顔立ちの娘を見ては、うっとりと見つめてしまうのです。
「似てないからかわいくない」、とはならない。
むしろ、彼女の全身から醸し出される、柔らかくてモチモチとした優しいオーラが、私は大好き。
甘い顔立ちの、穏やかな性格の彼女にいつも私は癒されています。
彼女の親という特権で、彼女のそばにいられることを、本当に幸福に感じながら。
(まあ、...まだ分からないけど。まだ赤ちゃんだから、これからどうなるか分からないけど。。甘い顔立ちだけど性格がキッツイ人も世の中にはいるしね。。最近、彼女は自己主張すごく強くなってきて、ご飯あげるの遅いと本気で怒ってるもんね。。その様子みてると、なんつーか、結構はげしそうだもんね。)

どうしてこのような甘い顔立ちの子どもが、私から産まれてきたのか。
とても不思議なんですが、私が産んだことに間違いはないので、私の子どもなのです。

自分に似ている息子も、自分に似ていない娘も、どちらも、かわいい。

自分の子どもを「かわいい」、と思う気持ちは、少なくとも私にとっては、「似ている」「似ていない」という次元の話ではないのだということを、娘と息子から教わっています。
自分に似ているからかわいい、ではないんだなと。

似ていようが、似ていまいが、自分の子どもとして一緒に長く時間を過ごしていくうちに、愛がどんどん深まっていくのを実感しています。こうして、絆が強くなっていくのだと思います。

「自分が産んだ子どもだから、かわいい」のか。「自分が産んだ子どもではなくても、かわいい」のか。今後の人生で、ここを掘り下げていきたいです。

子どもを育てることは、自分なりに、概念を定義づけていく行為なのかもしれません。
幸せ、ってなんなのか。
愛する、ってなんなのか。
人生で大きな謎としてモヤモヤとしていた概念たちが、じわじわと鮮明に見えてくる。
それは、とても心地が良いものなのです。
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20代の頃 私は 「幸せって何か」が分からずに、ずっとその答えを探していました
その時その時で これかな?という気持ちはあって
でも確信はもてずに 幸せの概念がはっきりしませんでした

人は幸せになるために 生きているの?
幸せはゴールなの?
そのゴールイメージがはっきりしない状態で それに向かって必死に生きることは
私としては かなり闇雲な行為で その過程は楽しいけれど 何か腑に落ちない感じでした

たとえば 広い空港で 一人の「ある人」を探すことになって
でもその 「ある人」が 誰だか全く分からない、というような。
見る人 見る人 「この人?」という感じがしてしまうけど
そうなのか 違うのか 全然分からない 
見つからない 時間は経っていく 疲れる でも見つからない
みたいな そんな感じです
(当時こういう夢を見ていたら 幸せが見つからないことへの暗示 だったかもしれないね) 


先日、長男がが4歳になりました
母としての私も 4歳
第二子である長女も生まれてきて
けっこう、こなれてきました

「子どもをもって 何が変わった?」
と聞かれたら 生活の変化もたくさんあるけど
私はこれをまっさきに言いたいです

「自分にとっての幸せとは何かが、分かるようになったよ」

たとえば

車の後部座席で同じ顔をしてスヤスヤ眠る
二人の子どもの寝顔を見たとき

保育園に迎えに行ったら
自分の子どもが自分を見るなり一目散に駆け寄ってきたとき

食卓で むいてあげたリンゴを
子ども達が シャクシャクと食べているとき

みんなで遊んでいたら 子ども達がなにか ツボに入ったようで
ゲラゲラ笑っているとき

朝 優しい声で子どもが起こしてくる時

そして
ソファで休んでいたら 子どもが二人とも集まってきて
両方から 私にくっついてきたとき

柔らかくて プニプニで あったかくて 目がキラキラしている 可愛い人たちが
私を求めてまっすぐ寄ってきてイチャイチャしてくる

あまりの幸せに 私は
パンとパンのあいだに挟まった トロトロにとろけたチーズみたいに
デレデレになってしまいます

子どもが二人になってから もちろん大変さもありますが
幸せの安定感がすごいです
あっちから こっちから 可愛い人がこっちにくる
4歳のboyと赤ちゃんのgirl また可愛さの種類が全然違う

子どもが3人4人いる人は どんなに幸せなんだろう
生活の大変さはあるだろうけど
きっと さらにとろけちゃうんだろうね

私にとっての 幸せは
直感的で 本能的で 確信的で 分かりやすい
ある「状態」のことでした

人生において 最大の謎がとけた ということで
子どもを持つのも なかなかいいものです
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